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山口地方裁判所岩国支部 昭和36年(ワ)64号 判決 1963年1月29日

原告 中林美年子

被告 正久シゲ

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金二〇万円およびこれに対する昭和三六年一〇月一一日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因としてつぎのように述べた。

(1)  原告は、昭和二八年八月二二日中林伊佐夫・同年子間の長女として出生し、母年子の死亡後は倉敷市連島町西之浦三八〇三高橋亀寿郎夫婦に預けられ、将来は同人等の養子となる約束の下に養育を受けていた。

(2)  被告は元山口県大島郡橘町大字東安下庄二五二二番地に居住し多額の財産を所有していたが、配偶者および直系卑属がなく孤独の生活を続けていたため、昭和三一年一月頃から同町内に居住していた原告の祖母中林トミに対し、原告を養子に貰いたいと申し入れ執拗にその斡旋方を懇請しつづけたので、右トミも遂にその熱情に動かされてその旨を原告の父中林伊佐夫に伝え、同年二月一〇日頃右伊佐夫と被告との間で原告を被告の養子とする縁組の予約が成立し、被告は右伊佐夫に対し、直ちに原告の入籍手続をとること、および養子縁組が成立した上は被告所有の同町大字安下庄字横紫二一八番の第一山林三反六畝一三歩と同所二一二番山林一町二反一八歩の二筆を原告に贈与して原告名義に所有権移転登記手続をなし、右山林上の立木を伐採したときはその売却代金を原告名義で預金し原告の学資に充てることを約した。

(3)  そこで原告の父伊佐夫は、同月一八日被告を同伴して倉敷市の高橋亀寿郎方を訪れて原告の引渡を要求し、原告への愛情にひかされて引渡を肯んじようとしない同人夫婦からもぎ取るようにして原告を引き取り、同月二二日被告が前記自宅に連れ帰つた。

(4)  その後被告は原告と一ケ月余同居していたが、当初の約定に反して容易に養子縁組届の手続をとろうとせず、山林二筆の所有権移転登記手続もなさず、あまつさえ原告を虐待して栄養失調に陥れた上、同年三月三〇日原告を柳井市平郡竹谷悟方に連れて行つて同家に置き去りにし、その後は原告の父等からの交渉を恐れて姿を晦まし、前記養子縁組の予約を蹂躙してこれを履行しない意思を明らかにした。

(5)  よつて原告は被告に対し、養子縁組予約の不履行により原告の被つた損害の賠償として、被告の地位財産その他の事情を勘案して金二〇万円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三六年一〇月一一日以降支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による金員の支払を求める。

なお右請求の容認されないときは、前記山林二筆の贈与契約の履行に代る損害金として同額の金員の支払を求める。被告は右贈与契約の条件たる養子縁組の成立を前記のとおり故意に妨げたものであるから右条件は成就したものとみなされるべく、かつ被告は右山林の立木を伐採して他に売却し、右山林を無価値ならしめて右山林の価額金八〇万円に相当する損害を原告に与えたものであるからである。

二、被告訴訟代理人は「原告の訴を却下する。」旨の判決を、予備的に「原告の請求を棄却する」旨の判決を、それぞれ求め、その理由ならびに事実関係に関する答弁および抗弁としてつぎのように述べた。

(1)  親が子の代諾権者としてなした養子縁組の予約は、子が満一五歳に達するまでの間右予約の代諾をなした親を拘束するにとどまり、子に何等の拘束をも及ぼすものではないから、右予約およびこれにともなう条件付贈与契約の不履行を原因とする本件損害賠償請求につき当事者たる適格を有するのは、右請求の原因たる契約上の当事者である原告の父中林伊佐夫であり、原告は本訴請求につき当事者適格を有しない。

(2)  被告は、原告が出生後間もなく生母が死亡したため里子に出されているが原告の父中林伊佐夫は失職していて原告の養育料も支払いかねている旨を、近隣に住む伊佐夫の母中林トミから聞いて同情し、被告も独り暮しであるところから、原告を引き取りトミと二人で育てようという話し合いのもとに、原告を好意的に一時預つたにすぎず、もとより養子縁組の予約などをした事実はない。しかるにその後約一ケ月余原告を養育したが、原告が近所の子供から父伊佐夫の素行を理由に嘲弄されていることを知つて放置できず、原告の叔父竹谷悟と相談の結果同人において引き取ることになつたので、同年三月一四日トミも立会の上で右竹谷に原告を引き渡した。以上の事実関係と牴触する原告の主張事実はすべて否認する。

(3)  被告は原告主張のような贈与契約を結んだ事実もないが、かりに右契約の存在が認められるとしても、右は書面によらない贈与であるから、被告は本訴(昭和三七年一一月二九日の本件口頭弁論期日)においてこれを取り消す。

三、立証<省略>

理由

一、原告訴訟代理人の主張によれば、原告は昭和二八年八月二二日生れの未だ満一五才に達しない未成年者で、原告を被告の養子とする縁組の予約は原告の父中林伊佐夫と被告との間に締結されたというのである。ところが右のように養子縁組の代諾権者によつて結ばれた縁組の予約は、養子となるべき子が満一五才に達するまでの間、右予約をなした代諾権者と相手方とに対し、子のために(一方は代諾によつて)有効な養親子関係を成立させるべく努めるよう相互に拘束する効果を有するが、子に対しては何らの契約上の効果をも及ぼすものではなく、その意味で右予約については代諾権者自身がその固有の資格において契約上の当事者たる地位に立つものというべきである。このことは、右予約の履行としてなされるべき縁組の代諾が代理の性質を有することと何ら矛盾することではない。そうすると、右予約を前提として、被告に対し約定された義務の違反を債務不履行としてそれによつて自己の被つた損害の賠償を請求しうべきものとしては、代諾権者として予約をなした原告の父中林伊佐夫の外には考えられず、原告自身は被告に対し自己の被つた損害の回復を債務不履行による損害賠償として請求しうべき契約法上の地位を有しないものといわなければならない。従つて被告に対し縁組予約不履行による損害賠償を求める原告の本訴請求は、その主張自体に照らし理由がない(自己に対する債務不履行ありとして自己の被つた損害の賠償を請求するものであるから、被告訴訟代理人の主張するように当事者適格を欠くわけではないが。)ものとして棄却を免れないものとなさざるを得ない。

(もつとも、場合によつては、子自身が予約の不当破棄を自己の人格権ないし人格的利益の違法な侵害として、養親たるべき者に対し不法行為上の損害賠償責任を問いうることは、もとより否定されるべきではないが、本件においては原告訴訟代理人は、被告による消滅時効の援用を慮つてか、右の趣旨に訴の変更をする意思はないものの如く、却つて原告の父中林伊佐夫が原告となつて本訴請求とその趣旨原因をほぼ共通にする別訴を提起するに至つたことは、当裁判所に顕著なところである。)

二、つぎに原告主張の贈与契約の履行に代る損害賠償請求について判断するに、右贈与契約が書面によらないものであることは原告の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなすべきところ、被告訴訟代理人から、右契約の成立の認められる場合はこれを取り消す旨の意思表示が本件の昭和三七年一一月二九日の口頭弁論期日においてなされたので、右契約の成立・効果につき如何なる判断に到達しえたとしても、もはや原告としてはその効果の存続を主張しうる余地なきものというべく、従つて爾余の点を判断するまでもなく、原告の右予備的請求も、その理由なきものとして棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用の上、主文のとおり判決する。

(裁判官 横山長)

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